人間が得意なものは、右の物を左にすることくらいで、そんなに本質的なことは行いません。本質的とは、創造性と言ってもいいでしょう。

創造性とは新たな現実を作る力ですので、右のものを左に置き換えるような作為的なこととは違います。科学や医学がいかに発展したとはいえ、遺伝子操作にしても、右のものを左に置き換える程度のことで、神の領域に入ったというのは、あまりにおこがましいわけです。

そうしたやりくり学問とは別に、もっと本質的な創造の力が人間には本当はあると思うのです。しかし、そうした力は押しとどめられてきました。なぜ押しとどめたのかの理由はよくわかりません。

人間の本当の能力を押しとどめさせる力が加わってきたことは、間違いないように思います。なぜなら、教育もメディアも人間の能力は素晴らしいと言いつつも、実際には人間の想像力を押しとどめるように働いてきたからです。

なので、教育を受けるほど、社会のいうことを聞くほど、メディアのいうことを鵜呑みにするほど、わたしたちの能力は、実は棄損される方向に進んでいたのです。

もしかしたら、人間の創造性を押しとどめておかないと、危険を抱く宇宙人がいたためかもしれませんし、権力者にとっても、人間の可能性を制限させないと安心できなかったのかもしれません。

何であれ、私たちは、常識と教育とメディアによって、自分の存在など大したことないのだ、、、、と一貫して思わされてきたことは事実でしょう。

では、本当の人間の能力とは何だったのでしょうか。それは、何でもできる力があるのだと思います。本当は、何でも簡単なのではないかということです。

どうせこの世は実在というよりも写し世としての面が大きいので、この世のことは、本当はあまり意味がなく、結果についても、一つの可能性でしかなく、本チャンの世界から見たら、結果はどうでもよいわけです。

なぜなら、人間は神に似せて作られたと言われる通り、本当は何でも簡単に作れる存在かもしれません。そうなれば、この世の創造的結果には、あまり意味はなく、創造自体の本チャンの世界への関心が沸いてきます。

そうなれば、あまりこの世の結果にいちいち反応するのもバカらしくなり、これまでの輪廻転生の旅は、別荘に行く楽しみのような形にその意味を変えていくでしょう。

すなわち、人間が神によって似せて作られた本領を発揮することになるわけですが、そうなっては困る人や宇宙人がいたのかもしれません。

いずれにしても、私たちの能力は抑えられています。どうでもいいやりくりの学問があたかもすべてであるかのように教えられ、それから外れることを、メディアは一斉に隠し通します。

本日のお話しは、本当は簡単なのでは、、、、の視点から思いつくままにお話しさせていただきました。お楽しみいただけたら幸いです。

#ねじねじ#銅線巻き棒#輪廻転生は別荘旅行に
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